Signature Life

雑記帳

人がクビになるとき(2)- you are the top sales

入社初日はシンガポールだった。

受付でMelvin Lewの部下だと告げると、ガラスドアの向こう側から、ストレッチTシャツに短パンとスニーカーというマラソン選手のような出で立ちでMelvinが現れた。汗だくの笑顔だった。

月曜日と水曜日は、いつも出勤前にマリーナエリアを走っているのだという。彼の席はガラスの壁際で、Marina Bay Sandsがすぐそこだった。眼下にマーライオンが水を吐いていて、マリーナにはいくつか小さなボートが浮かんでいるのが見えた。

 

その日から1週間、彼の部下でぼくの同僚である営業チームのみんなが入れ替わり立ち替わり研修を施してくれた。Melvin同様、デスクの下にスニーカーを置いている人が多かった。みんな、出勤前もしくは退勤後にマリーナを走り回っているという。なんと意識の高いチームであることか。

多くは30代でアジア各国の出身。男女比がほぼ半々だったことにダイバーシティーを実感した。みんな、はつらつとしており、人当たりが良く、面倒見が良く、話が面白い。国と文化が変われど、営業マンというのはどこへ行っても変わらないものなのかもしれない。

 

Melvinは、一生懸命に顧客を説得する姿がいつも印象的な男だった。

確かに彼は優れた営業マンであり交渉に長けていたけれど、しかしぼくは実はこの前職で、彼よりもさらにずっと営業力に優れた、天才的なまでに交渉力のある上司に着いていたので、Melvinのそれは驚くほど、というわけではなかった。だけどMelvinは一生懸命だった。自分のスキルの全てを精一杯に使って顧客に向かう姿が印象的だった。思えば、ぼくがMelvinに口説かれて転職を決意した時も、彼はあの手この手で一生懸命だった。

とはいえ、Melvinもやはり自分にとっては学ぶべきところの多い上司であり、営業同行の際には「上手いなあ」と思うところも度々あった。

 

何よりMelvinは、誠実だった。

そして彼は社内政治にとても気を配っていた。ぼくからすれば何をそんなに恐れているのかと思うようなことも多かったし、実際それを彼に告げたことも何度かあった。

 

Kenji, you never know what kinds of interests that people around you may have, and they don’t show it to you.  That is what companies are.  Anyway you should be very careful about it, always.

「ケンジ、会社というのは誰が何を考えているか解らない世界だからね。気をつけた方が良いんだ」

半分ぼくのことを呆れたような言葉がその度に返ってきた。

 

ぼくはここの前の職場で、上記の交渉の天才とも言うべき上司と、百戦錬磨の交渉人である取引先の皆様に随分と痛く厳しく鍛えられたおかげか、Melvinの部下に着いてからは、水を得た魚のように実績が上がり始めた。手応えとも言える実感が、自分にもあった。全く別の会社で別の商品を扱っているにも関わらず、不思議な土地勘があった。実際、取引先の一部は前職でも自分のカウンターパートだった人たちだった。「あらら、転職されてまた、今度はこっちの商品で宜しく(笑)」みたいな変な感じの挨拶をして回った。

 

そんなわけで2014年10月の入社を経て、2015年1月から12月までの年間の個人営業成績においてアジア太平洋地区のナンバーワンを獲得した。シンガポールの先輩営業からは、ルーキーがナンバーワンを取るのは史上初の快挙だと褒められたが、自分は先述の通り自分自身がルーキーだとの実感はなかった。

自分がこれまで苦労の末に培ってきたことを、ただここで淡々と繰り返していただけで、気がついたら12月25日に前年まで2年連続ナンバーワンだった人を抜いて、自分がナンバーワンになっていた。

むしろここの前の職と違い、ここは交渉の数こそひたすら多かったけれど、ひとつずつの交渉の重みというか金額は桁が前職と比べ二つか三つぐらい小さかったため自分は拍子抜けしていた。「今回は大きな交渉だぞ!」とMelvinに電話で発破をかけられても、内心では「いやあ桁が二つぐらい小さいのだけど・・・」などと、あまり緊張せずに淡々と交渉をこなすことが出来たのも良かった。

 

歩合給の割合が比較的大きな職だったため、サラリーマンであるにも関わらず、その翌年は確定申告が必要だった。

2016年1月には、ついに月間で世界ナンバーワンの個人営業成績を達成。これまでの人生、学校でも仕事でも世界ナンバーワンは獲得したことがなく、変な感覚だった。東京オフィスでも先輩方に「お!世界一おめでとう!」と祝福していただいた。これは素直に嬉しかった。

 

その時、他の部署のシンガポール人との間で、ちょっとした問題が発生した。心配事がひとつ出来てしまった。

そしてたまたま翌週にシンガポール出張が入っていた。シンガポールでMelvinに事情を説明し、事の成り行きが心配であることを伝えたら、彼はひたすらデスクが並んだ広いオフィスフロアを見渡してから、余裕ある表情でこう言った。

 

Hey Kenji, you are the top sales, okay?  Everybody in here knows it.  So just be proud of it and stay calm.  I will take care of this mess and you are going to be fine.

「君はトップセールズなんだ。ここに居るみんなが知っている。だから、あんなヤツ相手にしなくていい。あとは俺が面倒みるから大丈夫」

それを聞いていた仲の良いシンガポール人の同僚Parisが、ぼくにウィンクして見せた(笑)。彼女はとても優秀な営業で、入社以来、毎年のようにトップ3に入ってくる人だった。アジアの最高学府シンガポール国立大学で理系の学位を取得後、営業職に就いたという、才色兼備の美人だった。

 

Melvinは部下を励ますのが上手かった。それは、チームを率いる者としてとても大切な要素であることを、ぼくはそれから数年が経った今まさに改めてひしひしと感じている。

 

(続く)

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