Signature Life

雑記帳

相場師仲間

この週末は充実した3日間だった。

四人の友人と、ひとりずつ一緒にご飯を食べながら語り合った。

そのうち三人は相場を張っている。株や為替の取引をしている。

ぼくも株をやっているけれど、彼らとはまず相場師同士だから友人になったのではなく、もともと親しい友人たちで、気がついたらなんと、実はみんな相場を張っていた、という偶然のような必然。

 

“A fisherman always sees another fisherman from afar.”

ぼくが好きな映画Wall Streetでの主人公Gordon Gekkoの台詞。

 

果たして30代で相場を張る人が日本の世の中にどの程度の割合で存在するのか不明ながら、おそらくそれほど多くはないだろう。

それも投資信託を買っているとか、特定の会社の株を長期投資しているというのではなく、日常的にそれなりの頻度でアクティブに売買しているという意味での相場師である。

 

世間で相場師と言えば、いかがわしいイメージを持たれることが多い。例えば競馬新聞を片手に、耳には鉛筆を挟んだオッサンたちと同列の、すなわちギャンブラーというイメージ。

相場を張っている人たちには、確かにそういう人種も居るのは間違いない。でも、ぼくの友人たちはみんな、むしろ現状と将来に危機感を抱いていて、それに対する打開策として相場を張っている。

 

現代の奴隷制たるサラリーマンからの脱却に、たぶん一番近いのが相場を張ることなのではないかと、ぼくは考えている。

少なくともサラリーマン生活の先に脱却はない。いくらアップグレードしたサラリーマンになろうとも、すなわち出世して高給取りになろうとも、累進課税制のもとではたかが知れているし、累進課税をものともしないほどの給与所得を得るには、努力と能力と運と、それらを数十年間に渡って保ち続けることが必要だ。これらの全てが揃わないと、奴隷制からの脱却は叶わない。

基本的に、時間の自由と場所の自由と人間関係の自由は、サラリーマンを続ける限り望めない。

しかし時間と場所と人間関係の自由こそ、幸せの根幹を成すものひとつ、ふたつ、みっつだと、ぼくは思う。だからぼくは相場に臨む。

f:id:signaturelife:20190909084435j:image