憧れの熟練
最近、自分が50歳になったら、こんなオッサンになっていたいなあ、と思える人との出会いがあった。
まだぼくはその人のことをよく知っているわけではないが、ちょくちょく話をさせてもらうなかで、久しく感じたことのない感覚を覚えた。彼の圧倒的な経験値が生み出したであろう熟練と、またそれが支える余裕に感じる、純粋な憧れ。
その人と話をする度に、自分のなかにまだあったことさえ忘れかけていた成長意欲が刺激されるのも感じる。それは、軽く汗をかくほどの運動をした後に感じる爽快感にも似ている。
同時にしかし、自分の能力の至らなさと底の浅さに、情けなさと焦りの入り混じった劣等感を覚えるかのような、複雑な後味がある。
自分だってもう良い歳のおっさんなのに、20代や30代前半に戻ったような、とても不思議な若返りも感じる(笑)。
でも、自分はたしかに歳をとり、それを実感することのひとつは、悲しいかな認知能力の衰えである。
もともと大した頭ではないことはさておき、本当にここ数年で自分は頭が回らなくなってきた。
誰かと議論をすると、如実にそれを感じる。かつて口達者というか、議論は得意だったけれど、もう今は駄目だ。言葉が出てこないし、とにかく頭が回らない。一瞬だけ変に集中力が途切れて、相手の言ったことがその数秒は上の空になってしまうことも増えた。
ドッグファイトはもうできないね。アフターバーナーは失火するし、かつて何度でも周った9Gのターンは、今となっては6Gが精一杯でそれ以上に負荷を掛けると空中分解しそうになる。
それなのに、上に書いたオジサンは、そんな衰えなど全く感じさせず、いや、本人はそれを感じていたとしても、彼より10歳以上若いぼくが、彼の議論の構築の巧さと美しさに、感激を覚えて手も足も出ない。屁理屈で説き伏せられたのではなく、納得感で説得された感。
こういう人になっていたいなあと、漠然とながら思う。