Signature Life

雑記帳

年齢と興味の移ろいに素直に従いながら生きる

子供の頃は将来、科学者になりたかった。
特に数学と物理学が得意で好きだった自分は、物理学者になりたかった。


数学は、ある程度は暗記の必要な学問であり、知ってるか知らないかだけの話であることが多いけれど、ぼくは暗記があまり関係のない変な種類の問題が好きだった。幾何学や代数の証明問題が得意で好きだった。

 

数学が好きだったので、中学時代には親に頼んで数学専門の塾に通っていた。学校とは違って、そこは先生もとても楽しかったし、そこには自分の居場所があった。

いつも授業の最後に「それではこのあたりで、今日の帰宅権!」と先生が一問を出題するのがお決まりだった。帰宅権というのは、その問題が解けたら帰宅できるというコンセプトの出題。

帰宅権はいつも変な問題で、決して教科書やら問題集の類を読んでもどこにも載っていないような先生のオリジナル問題。あるいは灘高校とか、そういった難関高校の入試問題だった。

問題が解けたら先生を呼ぶ。
「はい!ウエケン正解、イチヌケお疲れ!」と告げられ、考え込むクラスメイトを背に一番最初に部屋をあとにするのが、とても気持ち良かった。間違えていると「お手つきですね」と言われる。

ぼくは帰宅権が得意だった。帰宅権で最初に帰るのは、いつもだいたい3-4人ほどの決まった顔ぶれの誰かと決まっていた。
数学問題の解法はひとつでないことも多い。特に帰宅権はそういった問題が多かった。複数のアプローチが考え得るなか、もっともシンプルで美しい解き方をすることに美学を感じた。何よりそれが一番早いので、帰宅権を最初に奪取出来る。

 

当時、そこで帰宅権の一番乗りを争った同級生は、東大や京大の理系に進んだり医者になったりと風の便りを耳にすることがあるけれど、自分はとことん落ちこぼれて日本ではどこにも大学に行けず、結果的にはアメリカに留学した。
とにかく無意味に思える暗記勉強が自分には生理的に無理だった。時間の無駄にしか思えなかった。
もっとも、留学は小学生の頃からの夢だったというのもあったけれど。そこは本当に親に感謝している。

 

数学は楽しかったが、物理学の方に自分はより強い興味を抱いていた。 
数学はゲームあるいはパズルのようなものだが、物理学にはこの宇宙の真理に直接的に触れる感覚がある。

 

しかしアメリカに留学したら、なぜかいつからか建築に興味が湧いてきた。建築なんて、それまで全く気にしたことがなかったのに。そうやって自分は漂流するように建築を専攻するようになった。

Tadao Andoが自分のヒーローだった。それは今でも変わらない。日本で近代最高の建築家は間違いなく安藤忠雄だとぼくは思うし、世界的にも彼は近代最高の建築家のひとりだ。
空間の作り方、その巧さが群を抜いていると感じる。光と影がダイナミックに織りなす空間、足を踏み入れた人たちを瞑想に誘うかのような光と風と水の活かし方、その建築が置かれる場所の強みを最大限に汲み取る風景の切り取り方、そういったところは、安藤忠雄の真骨頂だ。

 

建築を勉強するなかで、モノのデザインに対する見方がどんどん変わっていくのが自分自身で感じられて、それがとても新鮮で楽しかった。

Apple製品がとても気になり始めたのもその頃だった。でもお金がなかったのと、当時ぼくはSONYのファンボーイだったので、iPodではなく頑なにWalkmanを愛用していた。日本人の少ないアメリカ中西部に生きる日本人としての誇りも、自分をSONYに傾倒させていたのだと思うけれど。

 

それと共に、かつて得意だった数学が全くダメになった。数字に弱くなったのをはっきりと実感した。かつてあったような、数字を見たらピンとくる方向感覚にも似た感覚は、もはや綺麗に消えてなくなった。すっかり数字の方向音痴と化してしまった。不思議な感覚だった。
たぶん、脳内で数学に楽しみを覚えていたところは、いつからか建築やらデザインやらに完全占拠されてしまったのかもしれない。

 

しかし、ぼくは建築を職業には選ばなかった。
大学の途中からビジネスに興味が移ってしまったからだ。今でも建築は好きだけど、趣味であって仕事ではない。
興味を持ったビジネスのなかでも、自分の興味の中心はマーケティングだった。
だけど今まで、けっきょくマーケティングらしい仕事はほとんどしたことはなく、なぜか今まで自分はキャリアの大半で営業職を務めている。

率直に言って、自分がなぜ営業職を務めているのか、本質的には未だに自分でも理解していない。
ただやってみたら、予想に反してそれなりに結果が出せたことが多かったので、もしかすると向いてるのかな?という、その程度でやり始めて続けて、そのまま今日に至る。もちろん自分なりの経験に基づく営業に関する理論はあるけれど、少なくとも20代の頃は、まさか将来自分が営業職に就いているとは想像すら出来なかった。

特に営業職が嫌なわけでもなく、それなりに楽しいので、今でもやっているのだろう。自負できる結果もいくつか残すことが出来たのは幸せだった。とは言え、もちろんまだ自分の職業人生は終わっていないから、いつの日かまたその実績を超える成果を出してやりたいとは思っている。

 

人間は誰しもやりたいことで生きていくわけではなく、それよりも「出来ること」で生きていく方が結果的には幸せになれる。好きなことで生きていこうとすると、逆に様々な不幸を呼び寄せる気がする。逆説的な真実だと思う。

 

年齢と共に興味は移ろい、年齢と共に自分の生き方は変化する。時と共に、自分の能力も変わっていく。
その変化に抗わず、むしろ素直に従いながら新鮮な移ろいを楽しんでいくことが、長く幸せに生きるコツなのかなと最近なんとなく感じる。

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